【質問は締め切りました】ネフローゼを治療しながら「どう働くか」について

ネフローゼ症候群患者会では、ネフローゼとともに生きるうえでのさまざまな不安のなかから、毎回ひとつのテーマを決め、みなさんから悩みや疑問を募集。そのテーマを経験したネフローゼの患者さんにインタビューを通じて回答いただく企画(「経験者に聞く」)を実施しています。


経験者に聞く第2回目のテーマは

ネフローゼを治療しながらの「仕事」について。


今回は、みなさんから寄せられた質問に多様な回答ができるよう、年齢・性別・職種も違う4名(+司会進行&記事執筆担当1名)の方に参加いただき、座談会形式のインタビューを行います。文末に、座談会参加者のプロフィールを記載していますので、そちらもぜひ読んでくださいね!


薬の副作用や再発の不安を抱えながらの労働は、正直言って一筋縄ではいきません。そんななかでの悩みや疑問、どうしたらいいかわからないことなどを、下記のURLよりお寄せください。当事者の方はもちろん、パートナーやご家族からの質問も大歓迎です。たくさんのご協力をお待ちしております!


※アンケートは締め切りました


<座談会参加者プロフィール>
※ニックネーム・年齢・ネフローゼ歴・現在の服薬量(プレドニン、免疫抑制剤のみ)・職種・簡単な病歴&職歴を記載しています


三児の父さん(50代前半/ネフローゼ歴7年・プレドニン2.5mg)/金融機関/管理職

44歳の時に心が折れる代わりに腎臓が折れる感じで発症(微小変化型)。以降、プレドニンが2.5~5mgになると再発すること3回。現在、再発ゾーン突入中。仕事はコンサル部門の管理職なので、職場復帰後は定時退社していた時期もありましたが、現在は8時前に出社して20~22時退社が多い状況。再発した際は副作用を立場上周りに見せないようにしながら、なんとか業務はこなしてます。塩分6g/日は週単位で管理しつつ継続中。でも、コロナ禍で減ったものの、出張の時はリミッターを外して、地元のおいしいものを満喫してます(うなぎ、ごまサバ最高っ!!!)。


空と豆さん(40代後半、ネフローゼ歴7年目、プレドニン2mg 免疫抑制剤125mg) /支援員

2015年4月に事業所の異動があり、翌年1月に突然に下肢浮腫となり初発、微小変化型ネフローゼ症候群と診断、1か月半の入院で病休を取る。退院後は2週間後の外来日まで年休で自宅静養をした後復職する。仕事は、知的障害者の生活介護事業所で生活支援業務。新卒時から同仕事(福祉業界)で、子供2人の産休育休を経て、現在は主任、サービス管理責任者、グループリーダー。再発は、風邪や減薬のタイミングで3回程度。入院には至らず、ステロイドを20mgくらいに増やして寛解する、仕事は継続していた。


きまるさん(20代後半・ネフローゼ歴6年目・プレドニン4㎎・シクロスポリン25mg)/SE(システムエンジニア)

21歳・大学生の時に発症(微小変化型)しました。在学中、再発を繰り返し頻回再発型へ、結果的に大学を二年留年一年休学しております。大学四年生の時、体調・精神面が不安定なまま就職活動へ。しかし、在学中には就職活動がうまくいかず、フリーターとして就職活動を継続することを決めました。コンビニエンスストアの早朝勤務をする傍ら、就職活動に勤しみ、半年間の就職浪人期間を経て正社員のSEとして働いております。私は就職活動の段階から、難病を患っていること、強い薬を服用中であることを開示しておりました。自分の現状を伝え、そのうえで雇用していただける会社で働くことが、自らの健康を維持することにつながると考えたからです。IT系ということもあり、連日残業が続いたりと納期が迫ってくると目に見えて忙しくなりますが、食事のバランスと適度な運動を行い、再発に気を付けながら日々生活しております。


かるたさん(30代後半・ネフローゼ歴13年目・プレドニン11mg)/企画職

新卒で入社した企業で3年目(営業職)の春にネフローゼ(微小変化型)を発症し、2年間休職。そのまま退職するか悩んだが、復職とともに異動し、企画職としてのキャリアをスタート。再発や入院を繰り返しながら、6年勤務。海外短期留学のため退職し、帰国後は疾病をふせて短期アルバイトや在宅ワークなどをしながら1年ほど生活。その後、2社目と3社目は疾病を開示し、就労支援(福祉業界)への転職を実施。3社目(現職)では、現場と企画の仕事を兼務する形で入社したが、再発を契機に直近2年弱は企画専従で完全テレワークにて勤務している。


カバヲさん(40代前半・ネフローゼ歴15年目・プレドニン5㎎)/フリーライター

26歳の時ネフローゼ症候群(微小変化型)を発症し、当時の仕事(派遣社員)は退職。再発が続いたため初発から6年ほどは自宅療養をしていたが、在宅で働ける環境を作ろうと一念発起し、33歳でフリーライターに。その後、34歳・37歳・40歳でも再発。34歳~39歳までは仕事が忙しかったため(休みは月1~2日。連日深夜2~3時まで働いていました)再発時や副作用で体調が悪い時期でも試行錯誤しながら働いていた。